時代の変化と歩んだ桝徳の120年
2025.01.06創業期
桝徳は2025年に創業120周年を迎えます。
この長い歴史を振り返ると、明治期、世界大戦、戦後復興、高度経済成長、新しいライフスタイルが定着したコロナ流行など、時代やライフスタイルの変化がありました。
木材卸業としてスタートした私たちですが、時代の変化とともに住宅設備・建材の小売業に、そして現在では「住産業は地場産業である」という考えから、「地域工務店の皆様のサポート」へと役割を変化させています。
どのような時代の変化があり、現在の桝徳に至ったのか、創業120年を記念し桝徳の社史をご紹介します。
材木店として確立した創業期(1905~1966年)
桝徳が創業したのは1905年、長い鎖国がとかれ、電気や鉄道、郵便や学校制度の開始といった、近代文化が花開いた明治時代のこと。創業者である初代星野徳次郎の名前と、修行先だった「桝屋」という材木店の屋号から1文字とり、「桝徳材木店」としました。
創業地である大宮町(大宮市の前身)は、「製糸・製茶のまち」として非常に栄えていた時代。大宮駅がすでに複線化しており、流通拠点として確立し、製糸・製茶工場が相次いで移転・操業を始めていたのです。
賑わいを見せる中、桝徳は材木店として栃木や茨城だけでなく、日本全国から木材を仕入れて製材・卸売りを行っていました。
1937年に2代目徳次郎が代表に就任し、木材店を続けますが、1942年、第二次世界大戦中に制定された木材統制法により強制廃業となります。
木材統制法により強制廃業となった後、桝徳が「桝徳商店」として新たなスタートを切ったのは、終戦翌年の1946年のこと。戦後の焼け野原から、復興、朝鮮戦争特需、高度経済成長期と、木材の需要が増加し続ける追い風が吹いている時でした。
この時期、住宅用木材の取り扱いもありましたが、主体は建築物向け。道路や公共物などをつくる際の型枠の材料などを大手の建設会社に卸していました。先述した好景気により業務は拡大。1957年には3階建ての本社社屋を竣工します。
戦後から続いた木材の需要拡大は、新設着工戸数の減少の始まりと共に、1973年をピークに停滞期に。
戦後から好調が続いていた木材需要ですが、国内の林業では空洞化が起こっていました。
戦時中・戦後と続く木材需要で、国内の森林が大量に伐採、植林した木も育成中だったため国産の木材だけでは需要をまかなえず輸入木材が解禁。
国産の木材と比べ、輸入木材は価格が安く、安定して大量に仕入れることができたため急速に普及していきます。1960年にはほとんど使用されていなかった輸入木材でしたが、1969年以降は、輸入木材の供給量が国産木材を上回るようになったのです。
その後、育成中だった木が木材用に伐採できる大きさに育っても、輸入材の増加により価格面で採算が取れず、放置されるという状況が生まれます。
このように、木材の需要の縮小や輸入木材との価格競争の激化、また担い手の後継者不足もあり国内の木材産業は厳しい状況へと移り変わっていきます。
桝徳も、木材産業の状況の変化に伴い、新たな経営形態を模索し始めました。
住宅産業の変遷と共に始まった卸業期(1967~1991年)
木材業界の変化と共に桝徳は卸業へと経営形態を変化させていきますが、その変化は住宅産業の変化とも密接にかかわっています。
戦後から拡大を続けた木材の需要は、急増する住宅の新設着工戸数にも支えられていました。
戦後、深刻な住宅不足に直面した日本は国策として住宅の大量建設に乗り出したからです。
戦後の住宅政策の3本柱と言われる公庫融資、公営住宅、公団住宅により、新設着工戸数は木材需要のピークとなる1973年まで増加を続けます。
当時は「一世帯一住宅」を実現することが急務の課題であり、公団住宅では大量建設できる標準化された住宅が建設されました。プレハブメーカー(ハウスメーカー)と呼ばれる住宅メーカーが現れたのもこの時期で、家を標準化させ大量に建設するようになりました。
それまでの日本では、地域の大工や工務店が家づくりを担ってきましたが、政策やプレハブメーカーにより、徐々にシェアを縮小していきます。
さらに1990年代にはパワービルダーと呼ばれる住宅供給業者が台頭。パワービルダーとは、現場の作業員を雇用しない、建材を大量に仕入れる、などしてコストを抑え、低価格の住宅を販売する住宅供給業者で、急速にシェアを拡大していきます。新設着工戸数の減少や、ハウスメーカー・パワービルダーとの競争激化から、倒産や経営形態を変更する工務店が続出することにつながりました。
卸業から住宅設備・建材の小売業への転換(1992~2006年)
1990年代に台頭を始めたパワービルダーの存在は、桝徳にも大きな影響を与えました。
木材産業と住宅産業の変化に伴い、卸業へと経営形態を変化させた桝徳ですが、住宅用のアルミサッシの販売・取付けを始め、建築用木材から住宅用設備・建材へとさらにシフトし始めていたため、パワービルダーにも納材。大工さんとセットで施工を請け負うなども行っていました。
住宅用設備・建材へとシフトする中で、取り扱い量が増えたため、1997年には伊奈配送センターを竣工し、翌年1998年には住宅設備機器・建材の本格的販売も開始。2001年には伊奈に本社倉庫機能を一部移転させました。
今でもお客様にお話をすることがありますが、その頃は目の回るような忙しさで、配送担当も朝から夜まで配送して…それでも利益はあまり残らない、そんな時期でした。
桝徳が大手パワービルダーへの納材をやめて地域開拓に大きく舵をきったのは2007年のこと。
今後の行く末を考えた時、「誰でもできる」仕事ではなく「桝徳だからできる」仕事をしようと考えたからです。
住産業は地場産業~地域密着期へ(2007年~現在)
さいたま家づくりネットワークの設立
2007年から、桝徳は工務店様に新規営業を開始します。
地域の工務店様とお話しする中で「住産業は地場産業である」と思い至ったのはその頃のこと。工務店様も新設住宅着工戸数の縮小やパワービルダーの台頭で、新しいビジネスモデルを模索されており、工務店様同士情報共有をする場が欲しいという要望があったからです。
ちょうどその頃始まっていた、国の地域型住宅ブランド化事業をきっかけにして、地域の工務店・製材所・住宅会社といった有志が結束。さいたま家づくりネットワークを設立しました。
その後、地域型住宅グリーン化事業へと移行し、2024年末にはHEAT20G2/G3の認証を認定団体として全国初で取得。情報を共有しながら現在も良質な住宅作りを目指し邁進しています。
地域活動として3ビズ講座開催 こあきいなへ
地域の工務店様との連携に加え、地域に住むみなさまの暮らしを笑顔にするために、地域課題の解決についても取り組み始めました。
2019年には、choinacaの矢口さんを招き「わたしたちの月3万円ビジネス(愛称:3ビズ)」講座を開催。月3万円程度の小さなビジネスで、自分のやりたいことや、長所・得意分野で、愉しく稼ごうという講座です。全6回の講座で「どんなことでビジネスを展開するのか」ということからスタートし、地域イベントで実際にビジネスをするところまで行います。
現在は、より地域に密着をした「わたしたちのこあきいな(小商い+伊奈)」として姿を変え、地域の皆様が好きなことから自分らしい等身大の「小さな仕事=小商い」を生み出すお手伝いを継続しています。
回を重ねるごとに仲間が増え、卒業生たちとも交流しながら小さなビジネスの和を広げ、地域の貢献を続けています。
まとめ
材木商店として始まった創業期、木材卸業として奮闘した卸業期、そして新しいあり方を模索した小売業期・地域密着期と、桝徳は姿を変化させながら続けて参りました。こうして振り返ってみると、社会の様々な変化と共に歩んできたことがわかります。
新しい生活様式や空家、高齢者問題など、住宅業界を取り巻く環境はこれからも変化していくことが予想されます。その変化は地域により大きな違いがあり、テンプレートの成功事例を当てはめるだけでは通用しなくなっていくと考えています。それぞれの地域に根差し、抱える課題や変化に対応するためにも、皆様の相互協力・情報共有ができる場となるよう、桝徳はこれからも努めて参ります。