駒沢オリンピック公園
旧ブログ 2017.07.05
駒沢オリンピック公園。プロ野球・東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)のフランチャイズとして1953年に建設された駒澤野球場を解体整地して、1964年の東京オリンピックの開催のため誕生。サブ会場としてサッカー、バレーボールなどがおこなわれました。
駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場
駒沢オリンピック公園総合運動場体育館
設計はソニービル、東京芸術劇場などの作品で知られる芦原義信です。
1964年の東京オリンピックでは、レススリング会場となりました。
この日は、社交ダンスの大会がおこなわれていて、華やかな衣装をまとった男女が優雅に踊っていました。
オリンピック記念塔
12層、高さ約50m。会期中、競技をテレビの電波に伝え、観衆を輸送する交通を管制し、公園の電気や水などをコントロールする大切な役割を果たしていました。管制塔としての機能は現在でも持っています。
五重の塔に似た形状はいかにも日本を象徴する建築として東京オリンピック公式ハンドブックの表紙を飾りました。